筥崎瓦版 Vol.2 No.4 Ser.10 2004年4月2日 編集・発行 夢企画 〒812-0061 福岡市東区筥松2-3-17-202 e-mail: mail@yumekikaku.jp Phone. 092-624-1316 FAX 092-624-1317 HomePage http://yumekikaku.jp/ (kawara/ ※PDF版・テキスト版) 不定期発行(15日〜1.5ヶ月の変則間隔で発行予定)配布場所によりB5〜A3選択 ◎ザ・博多座  「博多座」と聞くと、川端にある大きな劇場・・・僕もつい先日までは単純にそう思っていました。でもこの瓦版を置いてもらっている喫茶店のママさんから、ある桜の木とそこに祭ってある碑の話を聞かせてもらっている中で「博多座」という言葉が出て、今の博多税務署の辺りに「博多座」という劇場が在ったということを初めて知りました。単に劇場が在っただけなら特に気には留めなかったのですが、その名前が「博多座」ということで、これはちょっと調べてみようかなと思い、今回はもうひとつの博多座 ・・・いや本家博多座とでもいうべき劇場についてご紹介します。例によって時間をかけてじっくり調べるということが出来ない状況なので(^^;; いくつかの文献から得た情報や聞いた話を総合してお伝えしたいと思います。  明治15年(1882年)、博多の好劇家有志がお金を出し合い、約9000円(現在のお金で約8000万円くらいでしょうか?)で木造2階建ての劇場を御供所町金屋小路(現在の博多区上呉服町)に建てました。劇場の名前は「教楽社」。 当時はこの教楽社以外には本格的な劇場がなく、かなり繁盛していた様です。残念ながらこの劇場は、側に小学校が新設されるという理由で明治40年12月に閉鎖されることになります。そして明治43年(1910年)にこの劇場を解体し馬出1丁目、現在の博多税務署辺りに「博多座」として再建することになります。この年の3月に大学前(現九大医学部)〜西公園までの電車も開通してますので、その事がこの地を選んだ要因のひとつになっているのかも知れません。ちなみに旧国鉄の吉塚駅も既に在ったようです。  ただ、当時のこの一帯は松原で、民家も少なかったそうです。  博多座は当時の東京歌舞伎座をモデルとして建てられ表側は写真の様に西洋風(歌舞伎座開場当時の写真は歌舞伎座の公式ホームページに掲載されていますので機会があれば参照してみてください)、裏側からは前身である教楽社の造りを引継いでか、3層建ての屋根がある和風の造りになっていたそうです。(教楽社の写真もありましたが引用許可が下りませんでした)その頃には他にも何軒かの劇場があり、集客競争も盛んだったようです。ただ、先の様に民家の少ない松林の中に建てられた博多座は、当時まだ街灯が普及していなかったため一日の興行が終わると辺りは暗くなり特に女性にとってはあまり良い環境ではなかったようです。そういう印象もあったり繁華街の劇場に利便性で差をつけられたり、また映画時代の到来もあいまって格安の料金設定などで頑張っていた博多座も昭和10年くらいから次第に客足も遠のいていった様です。  文献によると戦後は引揚者の住宅となっていたようです。当時の事をよく知る方の話では、今で言うホームレスの方も多く寝泊りしていたそうで、そういう方々を対象に地元の有志による炊出し等も行われていたそうです。そしていつの頃からか「キャバレーナンバーワン」という米軍相手の酒場となり、昭和38年に閉鎖・解体されたそうですが、一説には自然崩壊したという説もあるようです。  さてこの博多座を調べる発端となった桜の木と碑の話ですが・・・その桜と碑が右上の写真です。博多税務署横の駐車場の隅にあります。  この「玉姫稲荷」は繁盛と安全を祈って教楽社に祭ってあったものを、博多座として移った時に一緒に移して来たようです。  ちなみに玉姫様は縁結びの神様でもあるようですよ。  敷地内には他にもいくつかの碑があり、旅の途中で亡くなった役者さんを祭る意味もあったのではないかということです。  現在でも毎年5月にお祭りが行われているそうです。  しかし「博多座」と言う劇場が実はこんな昔にこんな所に在ったなんて面白いですよね。ついでにこの博多座付近の昔ネタとしてもうひとつ・・・昭和8年から19年まで、現在の馬出小学校辺りに福岡市立動植物園があったそうです。その時の正門が下の写真の様に現在でも残っています。面白いことに門の片方が学校の中、もう一方は歩道脇の小さな公園(?)に。なんでこんな区切り方をしたんだろか? ちょっと不思議です。ちなみに案内文には、この動植物園は「全市民の寄付により・・・」と書かれています。今回の博多座の前身である教楽社も一般市民の手によって造られたということになっています。  昔は社会全体に対する市民の関心が高かったのでしょうか?  それにしても瓦版配布地域にはけっこういろんな物があったんだな〜と今更ながら関心してしまいました。       CANOMATE ◎灯台草(とうだいぐさ)  最初に名前を聞いたときは、灯台の下にでも生えてて、多少塩分のあるところを好むのかと思いましたが・・・実は海にある灯台ではなく、油をひいた皿に芯を出して火を灯した昔の照明(灯火台)に姿が似てるので付いた名前だそうです。  4〜6月頃に小さな黄色い花をつけるそうです。  こうやって見るとなんとなく上部が明るい様で、更に黄色い花をつけると小さな灯りに見えたのでしょうか?  しかし面白い形の野草ですよね。  荒地や畑などに生えるそうですが、一応毒草だそうで、食べたり汁液に触れたりしないようにご注意を・・・ ◎ちんちんでんしゃ  博多座の件で「ちんちん電車」の事を調べていると・・・子供の頃におばあちゃんと一緒に毎朝お参りに行った事を思い出しました。  始発くらいの電車で姪浜から大手門(だったかな?)まで。  タブレット(電停で離合するときに交換していた大きなわっかで、ポケットが付いていて中には通行票が入っていたらしい)の交換風景や電車を操作する姿を見てやはり憧れました。その頃の運転手さんも車掌さんも、また乗客も今のように冷たい感じではなかった。ある時電車の中で車掌さんが急に話しかけてきて「この中に何が入ってると思う?」と、先のタブレットを見せてくれました。返答に困ったが嬉しかった。乗客が少なかったからかも知れないし朝早くからおばあちゃんと一緒に乗っていたので覚えていてくれたのかも知れない。大きくなってからも電車の中や外でいろんな思い出がある。多くの電停には屋根が無かったために、雨の日には傘をかけてあげたりあげられたりといった事もあれば、しずくの落ちている方をわざわざ人の目の前や肩にかかる様にする無神経な人もいた。  軌道上にかかるかかからないかのところで止まっていた車に接触してしまった一部始終も見てしまった(^^;;  思い出はいいとして、実は電車について気にかかっていることがひとつある。それは乗降口に階段というかステップが出せる電車の存在である。道路の中央に作られた電停は路面から一段盛り上がっていた所と単に線だけが引かれていた所があったのだが、この線だけの電停用に降り口側に1段くらいのステップが出せる電車があり実際に乗ったという記憶がある。しかしそういう電車を知っている人に今のところ出会ったことがない。あれは夢だったんだろうか?  ご存知の方がおられたらご一報お願いします。 ◎卒業アルバム  先日ある小学校に行く機会があり、そのときに卒業アルバムを見せていただきました。  多くの人の場合、小学校の卒業アルバムと言えば各クラス毎に担任の先生と一緒に写った集合写真や学校行事の風景写真・卒業生名簿などが綴じられたもの・・・そして卒業生は皆同じアルバムを持っていると思います。しかしその学校では生徒が少ないためにアルバムはひとり一人の分を先生が手作りし、内容は簡単に言うと入学時から卒業までの個人の記録なのです。よってひとり一人内容が違います。 そしてアルバムとは別に沢山の写真も贈られます。  人数が少ないから出来ることですが、なんかそういう雰囲気は好きですねー  卒業アルバムと言えば・・・ 僕は小学校を一度転校しているので、出来たら転校前の学校のアルバムが欲しいなーと、ふと思ったりしてます (^^;; ◎危機管理  車道・歩道を問わず、道に穴が開いていたり大きくへこんでいたりするのを見たことはありませんか? そしてアスファルトなどで簡単な補修がされていたり・・・  今年になってからも何件か陥没報告を行いました。そして補修後の確認なども行いました。  これまでも思っていたのですが、補修したところを見るとアスファルトなどでとりあえず穴を隠しただけという様な感じがほとんどです。先日も、一度補修されている部分の一部が大きく落ち込んでいるのを発見し写真を撮って報告に行きました(写真1)。ついでに思っていたことを聞いてみました・・・「補修をする場合は、その下の状況などを確認しないんですか? 単に地盤の隆起によるものなのか、あるいは空洞が出来ていてそれが広がる恐れがあるかなどを調べないんですか?」  補修の仕方を見ればそんな調査をした上で補修していないことは明らかですが、とりあえず今後の反省材料になればと思いたずねておきました。  もうずいぶん前になりますが天神の大きな道でも道路の陥没事故が起こったことがあります。確か車も落ち込みかけた事故だったと思います。  道を歩いていても、下に空洞が出来ているかな?と思えるようなところが時々あります。本来なら外見上異常がなくても報告して調査してもらうなり人工的な空間なのか事故につながる恐れがある空間なのかを確認してもらっておく必要があるのですが、僕もそこまではやってません。 (^^;;  もし小さなへこみの補修でも、ちゃんとその下の調査までしていれば、補修の方法も適切なものになり、何度も同じ場所を対処しなければいけないというようなこともなくなるかも知れません。それに何といっても大きな事故につながる可能性を事前に察知し未然に防ぐことが出来る機会であるかも知れないし、地盤の状態を把握するための情報収集の機会でもある訳です。単に市民からの通報で窪みを埋めるだけという様な対処は、本当にお粗末です。  今回報告した場所は補修されるまでに多少時間がかかってましたが、写真2の様に立派な補修がされていました。もしかすると広がる可能性のある空洞があったのかも知れませんし、念のため広範囲にという理由からかも知れません。あるいは、うるさい人がいたからかも(^^;;  何にしても一度下の状況を見た上で綺麗に補修してあるのでとりあえず安心、ついでに見た目にも気持ち良いし実際に歩いたりベビーカーを押したりするにしても嫌な思いをすることはなさそうです。  区役所の担当部署の方も本当に遅くまで仕事をして大変だということも理解してますが、単なる見せ掛けだけのやっつけ仕事ではなく市民のためそして自分自信が誇りのもてる仕事をしてもらえればなと思います。逆に私たちも全てを人任せにするのではなく、不具合に気付いたりしたら情報提供して社会の一員としての役目を果たしましょう。  道の危険かつ補修の必要そうな部分を発見した場合は、各区役所へご連絡を!